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蝦夷地質学の壱:大島高任

大島高任の借用目録

大島惣左衛門高任

元治元年二月二十六日,大島惣左衛門高任*1が岩内石炭山の調査のために「諸術調所*2」より借り出した書籍および調査道具の一覧が残されている.

調査道具などに関しても,当時の調査の様子がうかがわれて興味深いが,ここでは,地質学に関係ある書籍についてだけ紹介しよう.

  • ハルトマン坑山書
  • コツタ坑山書
  • ケルル坑山書
  • フラットネル坑山書
  • 坑山学校書
  • レール地学
  • フラットネル吹管説
  • ミツセル製鉱説
  • シューレル製鉱説
  • タナ金石学
  • ウール諸芸坑山韻府

さて,どの本がどのような内容なのかは,さっぱりわからないが,名前だけでもなにがしかの雰囲気はつかめるだろう.しかし,残念ながら,この中の一冊を除き,現存は確認されていない.唯一,函館中部高校にその存在が確認されているのが,「レール地学」として示された本だ.

実は「レール地学」とは,地質屋なら誰でも知っている.

ライエル(Charles Lyell)*3の「地質学原理」(Principles of Geology)のことだ.

1853年の版と記されている.元治元年は1864年であるから,発行されてから9年で辺境の日本の,さらに辺境の蝦夷地まで到着したことになる.

ライエルの地質学原理といえば,近代地質学を成立させた本の一つに数えられ,当時最先端の科学書だった.このほか何冊もの鉱山関係の洋書が,最末期とはいえ江戸時代の蝦夷地(北海道)にあったという証明だ.

日本の近代地質学の揺籃の地は,我々の住むこの蝦夷地だったのだ.

ウィリアム.P.ブレイク ラファエル.パンペリー

函館中部高校に現存する「レール地学」には「W.P.B.」というサインがあるそうだ.「W.P.B.」とはウィリアム=P.=ブレイク(William P.Blake)のサインであると考えられる.したがって,これらの洋書のうちのいくつかは文久二年(1862)に来日した幕府御雇米人ブレークがもたらしたものと考えられる.

ブレイクともう一人の御雇米人であるラファエル=パンペリー(Raphael Pumpelly)は大量の専門書を来日の際に持込み,その多くは現在でも函館税関,函館図書館,函館中部高校,北海道教育大学,北海道大学に所蔵されている.そのほか,彼らが来日前にサンフランシスコで購入した書籍類のリストも残されていて,膨大な数の洋書が「諸術調所」の蔵書になっていたことの証拠になっている.

「箱館洋学書」と「函館文庫」の蔵書印

もう一度,「地質学原理」の写真を見てほしい.

そして「箱館洋学書」と「函館文庫」の蔵書印に注目してほしい.長谷川さんは上記の蔵書に残された複数の蔵書印から,これらの蔵書がたどった数奇な運命を再現しようとしている.が,概略がわかったものの全容はいまだに解明されていない.とくに,鉱山関係の書籍は,記録には残っているものの,所在がわらないものが多く,「明治以降の御雇外人に利用されたまま散逸したのではないか」と考察している.

それにしても,鉱山関係の書籍がとくに行方がわからないというのは,なにかの理由があるに違いない.長谷川さんは「鉱山関係図書の発見が少ないのは,これらがどこかにまとめて保管されている可能性も感ぜられる」として,「その方面の方より御教示を得たいものと考えている」と述べている.十数年前に北海道大学地質学鉱物学教室も無くなり,数年前に地質調査所北海道支所が閉鎖された今,これらはますます歴史の闇に埋もれていった観が強い.

「諸術調所」の蔵書印

「諸術調所」の蔵書印を示しておいたので,心に留めておいてほしいと願うものだ.

さて,江戸時代末期の箱館(函館)に膨大な数の地質学・鉱山関係の書籍が存在したことは,以上のことで明白だと思う.そして,たぶん,当時の日本では,他に例を見ないほどの規模であったことも間違いないだろう.願わくは,散逸してしまった書籍が発見され,その当時の蝦夷地質学の全容が解明されんことを.

もひとつ.

「諸術調所」の時代に集められた(もしかしたら,「先-諸術調所」時代のものもあるかもしれないと考えているが)書籍は諸術調所の授業で使われただけでなく,大島高任のように借り出して利用された場合もある.たくさんの「地質屋」がこの本を利用したと考えられるが,その地質屋たちが誰で,何をして,どこへいったのかは,まったくわかっていない.

もしかしたら,日本史を動かしたある人物(たち)も読んだかも知れないと考えているが,これは今のところまったくのフィクションである.この連載が続けば,いつか紹介できる日が来るかもしれない.

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この項,ほとんど大部分を長谷川誠一「函館英学史研究」(ニューカレントインターナショナル刊)の研究による.

大島高任については,大島信蔵編著「大島高任行實」という一級資料がある.大島の業績である釜石の高炉については大橋周治「幕末明治製鉄論」(アグネ刊)に詳しい.また伝記小説としては,半沢周三「日本製鉄事始-大島高任の生涯」(新人物往来社刊)が読みやすい.

ブレイクとパンペリーについては,別に一節を設けたいと考えている.






*1「大島高任」

文政9(1826)〜明治34(1901):盛岡生まれ.鉱山・冶金技術者.「日本製鉄の父」と呼ばれる.
 砂鉄は鋳造用銑鉄の原料として不向きであることを見抜き,郷里南部藩釜石に鉄山を開発.さらに,日本で最初の洋式高炉を建設.安政4(1857)年銑鉄の出銑に成功した.
 文久二(1862)年4月から元治元(1864)年まで,箱館奉行所配下として在蝦夷.
 ・蝦夷地での動向(略記)
 文久二(1862)年,米人鉱山技師の鉱師学校において採鉱技術の教育を受ける.日本で最初の地質調査に同行.これはまた,日本で初めての地質実習であり巡検であった.鉱山における火薬の使用法,砂金採取の新技術などを体験.
 文久三(1863)年,箱館警備の大砲配備および必要砲数を上申.また,箱館に「坑師学校」を開校した.
 元治元(1864)年,石炭の炭質分析のほか,「岩内石炭山(注:茅沼炭鉱のこと)」にて採炭技術の研究.
(以上:長谷川誠一「箱館英学史研究」より編集)

*2「諸術調所」

箱館に開設された洋学や兵学の研究教育機関.箱館奉行の竹内下野守保徳と堀織部正利熙の申請により,安政三(1856)年八月,開所.
 武田斐三郎成章を教授として,オランダ語のほか自然科学や近代技術を教えたとされる.  カリキュラムは未詳であるが,

  1. 測地・測量(天文学,地理学,数学)
  2. 兵学(築城術,戦術,砲術)
  3. 造兵学
  4. 採鉱・冶金(鉱物学)
  5. 造船術,航海術
  6. 窮理(物理学),舎密(化学),機械技術  

などを教えたらしい.
授業は室内講義ばかりでなく,実習体験学校という色彩をもっていた.学生は幕士と諸藩士の区別がないばかりでなく,武士階級以外にも開放されていたという.
元治元(1864)年,斐三郎が江戸の開成所の教授職並に転出したため,諸術調所は約8年存続してその幕を閉じた.
(以上:竹内収太「武田斐三郎=幕末のダ・ビンチ=」より編集)
 なお,武田斐三郎に関しては,別に一節を設けたいと思う.

*3「ライエル」

チャールズ=ライエル[Sir Charles Lyell](1797-1875):スコットランドの地質学者.「地質学原理」の著者.
 オックスフォード出の弁護士から転身.イングランドのジュラ系,フランスの第三系などを研究し,「地質学原理」を著して,近代地質学の基礎を確立.1830年代に「始新世」「中新世」「鮮新世」「更新世」を命名した.
(以上:レイメント「地球科学の巨人たち」(阿部勝巳訳)より編集)

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