目次 前へ 次へ

蝦夷地質学外伝

●其の六 冒険者たちの時代

元文四(1739)年,坂倉源次郎,「北海随筆」を著す.
 同年七月十四日,樽前山噴火.「其附近灰を降らす事甚だしく,二三日の間昼夜暗黒」であった.
 翌々年,寛保元(1741)年七月八日,渡島大島噴火の風評あり.十五日・十六日には,江差地方に降灰.十九日明け方,大噴火が起こり海上に轟音が響いた.日本海岸の海水が退き,まもなく根部田より熊石にかけて大海嘯襲来.死者千四百六十七名.

天明三(1783)年正月,工藤平助「赤蝦夷風説考」二巻を著述.
 天明五(1785)年,林子平「三国通覧図説」中で「蝦夷国全図」発行.翌年には「三国通覧輿地路程図」を発行.
 蝦夷地は今や注目の的であった.

天明三(1783)年正月,工藤平助「赤蝦夷風説考」二巻を著述.
 仙台出身の医師・工藤平助は,ロシア人が蝦夷地に迫っていることを憂慮し,天明元(1781)年七月,「魯西亜誌」を編述.翌々年,これを下巻として,「赤蝦夷風説考」全二巻を著述した.「赤蝦夷」とはロシア人の事であるが,これはロシア人が赤ら顔をしていたからという説と,ロシア軍人が赤い制服を着ていたからという説がある.「赤人」ともいう.歴史の教科書を読み直していただきたい.詳しくは工藤平助の著述をコンパクトにまとめた「赤蝦夷風説考」(教育社新書)という現代語訳の本もある.

工藤平助の論旨は以下のようなものである.
 ロシア人が南下しようとしているが,基本的には侵略しようとしているわけではなく,交易がしたいだけである.だから,蝦夷地を開拓して,交易すべきである.蝦夷地には金銀銅がたくさんあるので,これを採掘して費用にあてればよい.そうしないで放っておけば,アイヌたちは次第にロシア人に従うようになり,結局,蝦夷地はロシア領となってしまうだろう.
 平助は付録として,蝦夷地の鉱産物について略述している.それらはすでに前述したところであるが,蝦夷地の事情がよく調べられているといっていいだろう.

平助の憂慮は不幸にして半分あたってしまう.
 寛政元(1789)年五月,クナシリ・メナシでアイヌ蜂起.松前藩から蝦夷地の産物の商品化を請け負った商人やおこぼれにあずかろうとした和人の流れ者の暴力に対して,クナシリ・メナシ地方のアイヌたちが立ち上がった事件である.
 この事件に関しては,根室シンポジウム実行委員会編「三十七本のイナウ」で詳しく検討されている.また,フィクションではあるが,船戸与一「蝦夷地別件」(新潮文庫)が未知の部分を補ってくれるだろう.
 だが,この事件そのものは本文のテーマとは関係がないので,省略する.

そして,本格的な冒険者たちの時代が始まる.


蝦夷地質学外伝 其の七へつづく



 著者について  著作権について

 Copyright (C) 2003 地学団体研究会北海道支部 All Right Reserved.