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蝦夷地質学外伝

●其の八 「東韃地方紀行」(間宮林蔵)

い 林蔵概論

間宮林蔵*1は,後半生を幕府の隠密として生きただけあって,史料がほとんど残されていない.残されている史料についても,さまざまな混乱があり,とても整理しきれない.

間宮林蔵についての伝記は古くから多くのものが出版されているが,現在入手可能なのは,洞富雄「間宮林蔵」(吉川弘文館刊)*2と赤羽榮一「未踏世界の探検◎間宮林蔵」(清水書院)*3がある.ほかに,大谷恒彦「間宮林蔵の再発見」(筑波書林)も,まだ入手可能であるが,こちらは林蔵研究のエピソード集に近いもので,林蔵の全体像が分かるわけではない.

林蔵の著作として知られているものは,洞富雄「間宮林蔵」によれば,「カラフト島見分仕候趣申上候書付」・「東韃地方紀行」・「北蝦夷図説」・「窮髪紀譚」があるとされていた.「カラフト島見分仕候趣申上候書付」は地学雑誌(16巻,9号,571-583頁;明治三十七年)に採録されているが,著作というよりは幕府への報告書である.「東韃地方紀行」・「北蝦夷図説」・「窮髪紀譚(大要)」は教育社新書「東韃紀行」(1981刊)で現代語訳されている.

1988年に,平凡社から洞富雄・谷澤尚一の編注で「東韃地方紀行他」が出版された.これには,「北夷分界余話」・「東韃地方紀行」・「窮髪紀譚」が採録されている.この三つは,それまで間宮林蔵の著書とされていたが,林蔵の口述によるものの,前二者は村上貞助*4の,後一者は古賀侗庵*5の編集であることが明らかにされた.
 「窮髪紀譚」は古賀侗庵が林蔵から聞いたことを侗庵の弟子に筆録させたものである.箇条書きのメモのようなもので,系統的な著作ではない.一方,「北夷分界余話」はその部分が「北蝦夷図説」として知られていて,「東韃地方紀行」が大陸の探検記であるのに対し,「北夷分界余話」は北蝦夷(樺太)の探検記で「東韃地方紀行」の前編に当る.つまり,「北夷分界余話」と「東韃地方紀行」はセットになっているのだ.
 ところで,この二冊については,これまで何度か翻刻もしくは復刻がなされているが,いずれも微妙に,もしくは大きく異なることが,洞・谷澤によって指摘されている.洞・谷澤は翻刻もしくは復刻の元になった底本が村上貞助の編集によるものでなく,粗悪な写本であったことを示唆している.その経過で,村上貞助編集が間宮林蔵著となってしまったものなのだろう.

不幸なことに,問題はこれだけではない.
 流通している「北夷分界余話」と「東韃地方紀行」は村上貞助編集であって,間宮林蔵が書いたものではない.林蔵は文章を書けないわけではないのに,なぜ第三者が編集に携わったのか.そのまま林蔵に書かせたのでは,なにか都合の悪いことでもあったのだろうかノ.
 天保十一(1840)年冬,伊勢の津藩の儒者・斎藤拙堂が林蔵にあい,東韃紀行の著述について尋ねたところ,これを否定した.そして「私の記録したものは別に十五巻あるけれども,未だこれを他人に見せたことはない」と語ったという.林蔵は,日ごろ自分の所蔵しているものは国家機密に属するものであるから,死後はこれを焼き捨ててくれと友人に頼んでいたともいう.はたして,林蔵の没後,所蔵していた地図草稿や書類・測量器具一式などは,すべて奉行所に引き取られたそうである.その中に,斎藤拙堂に語った十五巻の著作が入っていたが否かは定かではないが,これが発見されたという話も聞かない.

つまり,知られているもので,林蔵の手になるものは書簡と報告書のみということになり,これらを調べても,林蔵の地質学的・鉱物学的知識の検証には不十分ということになってしまう.
 以下は,そういう前提での話しである.


蝦夷地質学外伝 其の八 ろ へつづく





*1 間宮林蔵:
 林蔵は安永九(1780)年,常陸国筑波郡上平柳村の農家に生まれた.寛政二年頃,算術の才能を認められ,測量師・村上島之允について江戸に上る.この時に,名を「倫宗」と改める.寛政十一年四月,師の村上島之允に伴われて蝦夷地に渡る.村上島之允は蝦夷地御用掛・松平忠明の随員として蝦夷地に派遣された.以後,林蔵は蝦夷地詰していた.文化四(1807)年四月,択捉島の紗那会所元に勤務中,ロシア軍艦の攻撃事件に遭遇している.

*2 洞富雄「間宮林蔵」(吉川弘文館刊):
 この本は,「新装版」化のほか,「重刷付記」,「第二刷付記」,「第三刷付記」などが付け加えられているが,改訂履歴がよくわからないので注意が必要.また,第一版は昭和二十五(1950)年発行になっているが,クレジットは"Tomio Hora 1960"になっている.
 本文は多分初版のままだと思われるが,上記「付記」は付記というよりはまったくの「訂正」があるので本文を読んだだけでは,非常にマズイことになりかねない.全面書き換えが必要な本だと思われるが,著者は明治三十九年生まれなので,不可能だろう.

*3 赤羽榮一「未踏世界の探検◎間宮林蔵」(清水書院):
 この本には,中表紙裏に「本書は『人と歴史』シリーズノの『間宮林蔵』として,昭和四九年に刊行したものです.」とある.たぶん元本は,洞富雄「間宮林蔵」の「新装版重版付記」に引用されている「間宮林蔵ー北方地理学の建設者ー(清水書院)」として引用されているものだと思われる.赤羽氏の著書には先人の誤りを厳しく追求する姿勢が見られ,多少感情的かなと思われるところもある.この本の出版が洞氏に「重版付記」などのさまざまな訂正を付加させた理由なのだろう.このために,洞氏による林蔵の足跡は非常に分かりにくいもののなっている.

*4 村上貞助:安永九(1780)年生まれ,弘化三(1846)年没:
 村上島之允(村上島之丞:秦 檍丸)の弟子で養子.

*5 古賀侗庵:
 古賀侗庵:天明八(1788)年生まれ,弘化四(1847)年没;昌平坂学問所の儒者.


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