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はじめに

幕末から明治にかけて,西洋の科学技術が日本になだれを打って入り込んできた.これは,我々の住む北海道(=蝦夷地)でも例外ではなかった.というよりは,農業・鉱業などの基礎産業に関する新知識は,むしろ蝦夷地に最初に集まったといってよい事実がある.

これに興味を持って調べはじめたが,ほとんどのことは,すでに文科系の歴史家によって明らかにされている.ところが,これらの資料は相互に矛盾していたり,引用元が明示されていなかったりもする.また,我々(理系の)のセンスでは「どこにも証拠が無い」と思われるような事項が「定説」になっていたりもする.さらに残念なことに,必要な歴史的資料はテキストとしての貴重性のほかに,その「もの」自体がもつ特殊な価値があり,誰にでも利用できるというものではない.だから,存在がわかっていても参照することの困難な資料もたくさんあり,確認作業は容易ではない.またようやく入手しても,簡単には解読できない文章もたくさんある.

だから,まだわからないことがたくさんある.

ただ,我々にできることは,地質屋の眼をもって今使える限りの資料を見直すことと,その結果で歴史を見直すことだとおもう.

いつの日か,ライマンが,榎本武揚が,パンペリーやブレイクが,松浦武四郎があるいた蝦夷の道をたどってみたいと思う.そうすれば,きっとまた新しい発見があると思うし,彼らが描いた蝦夷地の未来の姿が見えてくるだろうと思う.そうしたら,我々が若き日に抱いた地質学への思いも蘇ってくるかもしれない.

それまで,残されている資料をまとめながら,百数十年前の蝦夷地におきたある種の科学革命について,少しずつ紹介してゆきたい.

たぶんそれは,「地質学のビックバン」といってもよいものだろうと思う.

大学から「地質学教室」の名が消えて久しい.

地質学は「錬金術」や「占星術」のようなもので,地球科学こそが「真の科学」だという議論が公然となされているし,傲慢な地質学者が地球科学の進歩を妨害したとまで言われている.これも,もう過去の話のような気もするが.

私の世代が学生のころに習った「地向斜造山運動論」は,それはそれで美しい理論であったし,充分に資源開発や防災に生かされてきた学問だったと思う.

われわれはある種の科学革命の過程を体験したようだが,さりとて,学生時代にプレート・テクトニクスの教科書を読んでいたら取り上げられたとか,踏み絵を強制された覚えも無い.ところがあれから何十年も経ち,生き延びているのは地質学の看板を降ろして,地球科学の看板を掲げた人だけのようにも思える.はて,踏み絵はどっちが行なったものなのか.

いまでも,地質学は自分の足であるいて,目で見てやる学問で,地球科学は最新機器を使って,疑似体験しながらやる学問だと思っている.地質学は1/5,000地形図のスケールだし,地球科学は「地球サイズ」の学問だと思う.だから,これらはまったく別な体系なんだろうとも.なんにしろ,私の世代はある種の科学革命を体験した.

「地向斜造山運動論 vs. プレート・テクトニクス」のはずだったのに,地質学が崩れて ゆくのを体験した.

だから,現在の地球科学も未来永劫続くものとは思っていないし,その行く末にたいした興味もない.だが,われわれ自身が学んできた「『地質学』の歴史」に,いま,非常に興味を持っている.われわれの住むこの北海道で起きた地質学の歴史に.

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